徒然日記

記憶

長靴少年隊のクールランニング

網走支庁がオホーツク総合振興局と言うヘンな名前に変わってしまいました。 オホーツクと言うのは、樺太(サハリン)の先っぽを辿り、ロシアの海岸にぶち当たったあたりの、ロシアの地名です。 僕が生まれ育った地方が、なんでロシアの地名で呼ばれなきゃいかんのか、いまいち納得がいきません。 多分誤解を生む呼び名だと思いますので、今のうちに誤解を招かないよう、注意を喚起しておきます。(偉そうに・・) さて、そのオホーツクの南、オホーツク海に面した北海道の一つの街で、僕ら長靴少年隊は活動を続けていました。 ええ、この名前はこの間思いついた物です。...

たった2人の長靴少年隊

しばれる・・と言う程では無いけれど、寒い日が続きます。 これだけ雪が少なくなると、早い所春になって欲しいと思ってしまいます。 しかしながら幼少期の僕にとって、この季節は遊び相手の雪が消えて行くと言う、少々憂鬱な季節でもありました。 しかしそれに増して、この季節には別な大きな楽しみも存在していたのです。 オホーツク海側の網走に生まれ、北見市で小学生時代を過ごした僕にとって、卒業式や入学式の季節は桜の季節ではなく、雪解けの季節と言う印象でした。...

つららの思い出

私は今から20年程前、一度北海道から離れました。 当時、周囲の人間の幼稚さに辟易し(ひどい言い方ですが、そう思っていたのは本当です。今思えば自分も幼稚な人間でしたが。)、知人のいない世界でデビューして、人間関係をゼロから構築する事を望んだのです。 当時は北海道そのものすら、嫌いな存在となっていました。 そうして東北の、とある地方都市で20年を過ごすうち、北海道を客観的に見る事が出来るようになって、逆に北海道大好き人間に生まれ変わって戻ってきました。...

北の風呂場の思い出

北海道の中学校教師を親に持つ私の場合、3年ごとの親の転勤が、それまで住んでいた家「教員住宅」との別れとなりました。 以前にも書きましたが、最初に住んだ網走の教員住宅には、風呂がありませんでした。 網走湖荘まで足を伸ばし、風呂を求めました。 網走湖荘では、いつも玄関横に飼われていたシカ(バンビと呼んでいました)が、私を待ちくたびれた目で待っていてくれました。 私の事を、友達だと思っているのだと、当時の私は思っていました。 ・・でも今考えると、何も考えていなかったんでしょうね。...

北の教員住宅と地熱

父の職業が中学校教師でした。 地方公務員である北海道の中学校教師には、転勤が付き物です。 そして、北海道の中学校教師の転勤先は、おもにその所属支庁内の全域となります。 私の父は網走支庁の所属でしたので、網走支庁管内を転々としました。 現在は必ずしも当てはまらないかもしれませんが、北海道の教職員の住環境には、ある特徴が見られます。 私個人の経験に基づきますが、学校の近所には教員住宅が用意されており、転勤先では必ず、教員住宅に入居出来ました。 教員住宅のほとんどは、2戸続きの平屋でした。 部屋の構成は2Kから3DK。...

昔歩いた街

私用で故郷の街、北見を訪れた。 相変わらず空は高く、空気が澄んでいる。 同時に飛行機で帰郷した従姉妹は、上空から見た紅葉に感動したと言っていた。 所用も終了した後、高速バスを待つ間、両親と別れ昔歩いた街を再び歩いた。 時間を潰すのは本屋と相場は決まっている。 街にあった本屋を3軒、廻ってみた。 駅前から順に「フミヤ」「ブックセンターコバヤシ」そして老舗の「福村書店」 驚いた事にその全てが閉店していた。 福村書店の前のローソンで、店員に聞いてみた。 「本屋は全滅ですか?」 「すいません」 いや、あなたが謝る事じゃない。 まてよ…...

通信簿の連絡欄には毎回「落ち着きがない」

小学校時代の通信簿の連絡欄に、「落ち着きがない」と、六年間*三学期書かれた方々、いかがお過ごしでしょうか、私は元気です。 自分はどうも軽い多動症だったのでは無いかと、後年になってみて思い返す訳でございます。 そんな過剰にアクティブな性分は、今になっても十分発揮されるのでございます。 またまたBlogシステムの変更です。 今度のシステムは、大御所のMovableType。 実は以前にも使用していたことがあるのだ。 何故今になって戻したのかというと、Wikiの方のシステムにあるトラックバック機能。...