私は今から20年程前、一度北海道から離れました。
当時、周囲の人間の幼稚さに辟易し(ひどい言い方ですが、そう思っていたのは本当です。今思えば自分も幼稚な人間でしたが。)、知人のいない世界でデビューして、人間関係をゼロから構築する事を望んだのです。
当時は北海道そのものすら、嫌いな存在となっていました。

そうして東北の、とある地方都市で20年を過ごすうち、北海道を客観的に見る事が出来るようになって、逆に北海道大好き人間に生まれ変わって戻ってきました。
この20年の間に変わった事は多々あれど、冬の風物詩である「つらら」を見なくなった事には驚きです。

育った土地が網走支庁管内、現在の居住地が札幌と言う事で一概には比較できませんが、実家の網走に帰ってもやはり、つららを見る機会は減りました。
この20年に何があったと言うのでしょう?

北海道の人は古い物を躊躇なく壊し、新しい物に置き換えると、ある本で読みましたが、確かに古い家は珍しくなりました。
現在札幌の街中で見かける家屋の屋根は、陸屋根が多かったり、もとよりマンションだったり、つららが垂れ下がった家を探しても、見つけるのは困難です。
かろうじて大通り公園の末端、札幌市資料館などに垂れ下がっているのを見ることを出来ますが、これなども別な意味で資料的価値があると思います。

私が小学校時代を過ごしたのは北見市と雄武町なのですが、冬はとにかく風が強く、最低気温もかなりの低さでした。
しかし暖房にはルンペンストーブが活躍し、少なくとも家の中心の茶の間は冬の間でも25度近くの室温でした。
そんな暖房ガンガンの家の、屋根の断熱は今と比較にならないほど低レベルだったでしょうから、ストーブが発した熱は、大いに屋根を通じて外に出ていたのだと思います。
かくして、溶けた雪は屋根の端まで落ちていくと、そこでマイナス20度と言う冷気によって急激に冷やされ、立派なつららとなったのです。

雄武小学校へ行くまでの通学路で得られるつららは、それはそれは見事な太さでした。
屋根に近い所では漬物石ほどの塊となり、そこから対戦車ミサイルほどの太さの氷の柱が、地面に延びていました。
中には、屋根から地面までつながって、鍾乳洞さながらの光景も目にした物でした。

しかしつららは見た目に面白くても、大変危険なものでした。
漬物石ほどの大きさなら、重さもたいした物です。
頭上から落ちたつららによって、人が死亡したニュースも多かったと思います。
今、つららのない冬景色を見るの事に一抹の寂しさを感じますが、安全性が向上した事を喜ぶべきでもあるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)