自分が北海道に帰ってくるタイミングと、親戚の不幸が重なります。

札幌市在住の、父方祖母に再開したのは4年ほど前、15年ぶり位の事でした。
思いの外元気で、談笑して「また来るね」と言って別れましたが、程なく亡くなった事を知らされました。

2年ほど前の夏の帰省では、網走の実家に着いたその日に、北見在住の母方祖父が亡くなりました。
この時は喪服等々持ち合わせなかったため、通夜葬式には出ず、顔だけ見て拝んで帰ってきました。

そして先週末、札幌市在住の父の弟(私から見ると伯父ですね)が、亡くなりました。
知らせを父から聞いた時には、さすがに一瞬、自分が札幌に戻ったせいなのだろうか?等と考えてしまいました。
・・どうもタイミングが良すぎ。
・・いや、悪いと言うべきでしょうか。

しかし、人が亡くなると言う事にも、色々なケースが有るんですね。
子供の頃に自分が思い描いていた葬式の図は、深い悲しみに包まれ、いたたまれない雰囲気でした。
しかしそうとも限らないのだな、と最近は感じています。

亡くなる事を予見し、心の準備が出来ている人たちは、故人の死をしっかり受け止めているようでした。
毅然と挨拶をし、笑顔で親類を迎えた故人の家族たちは、悲しみを乗り越え、再開を喜んでくれていた様子でした。

親族が亡くなるたびに、大切な人たちと再開している自分がいます。
こんなことが有るたび、色々な事に気付かされます。
故人には助けられてばかりの自分がいます。

くしくも今回の再開で、我々瀬下一族が多く住んでいるのは、札幌なのだと思い知りました。
一度どこか遠くに出て行った人も、いつのまにか札幌に戻っているのです。
(私の父は例外的に、網走に居を構えましたが)
札幌は、瀬下一族を魅了する街なのかも知れません。
そして自分も、知らず知らずにこの街に、そして一族の近くに、引き寄せられた様な気がしています。
私の故郷、網走と同様かそれ以上に、この街は郷愁を誘います。
これが何かの縁である事は間違いないでしょう。

「この街でやって行くんだ」と言う想いが強まりました。